ベトナムでスタディツアーを行った際の様子です。
名称
「ベトナム・スタディツアー2009春」
~青年海外協力隊とベトナムの医療・教育現場を訪ねる旅~
実施地域
ベトナム(ハノイ,バクザン,ダナン,フエ)
期間
現地プログラム:2009年2月19日~3月3日(12泊13日)
事前プログラム:2009年1月10日~2月8日(全5回)
参加者
10名(※内訳:男性7名,女性3名:10代2名,20代8名)
現地プログラム
山岳地域の少数民族の村訪問
国際協力機構(JICA)の実施する技術協力プロジェクト「循環型社会形成に向けてのハノイ市3Rイニシアティブ活性化支援プロジェクト」訪問
青年海外協力隊訪問(教育支援5名、保健医療1名),赴任先小学校や施設での子ども達との交流,日本の文化を伝えるワークショップの開催 など
事前プログラム
安全管理講習会
参加者発表による勉強会(発表例:「JICA技術協力プロジェクトについて」,「ベトナムにおける少数民族問題」,「ベトナム経済とインフレーション」,「ベトナムの歴史」など)
参加者からの感想
『ダナンで会った青年海外協力隊の人の話がとても印象に残っている。その人は幼稚園の先生をしている。社会主義国であるベトナムでは、教育のカリキュラムや指導要領なども日本とは違って、画一的に教えることをよしとするそうだ。そこで日本からの協力隊の人が日本式の教育の仕方を取り入れようと努力しても、認められなかったり、ときには逆効果だったりする場合もあるという。
本当に正しいことは何なのか。信じるべきことは何なのか。やりがいのある仕事は何なのか。きっとそれは考えれば考えるほどわからなくなる問題で、それでも考え続けなきゃならない問題だ。
協力隊の一人で何が変えられるのか、とたまに無力感を感じたり、辛くなるときもあるという。そういうときでも毎日の仕事と向き合っていけるのは、今ここに、目の前に子供たちが居るから。世界の中でそれがどんな役割となるのかはわからなくても、とにかくこれが自分の仕事であり、自分はこの仕事を通して必要とされているから。そんな想いが、彼らを動かしている。
青年海外協力隊の人たちはみな、自分の道を持っていて、その上で世界と向かい合っている人だった。
いつでも世界を背負ったつもりになっていなくたっていい。ただ一人分の人生を精一杯に懸命に生き抜こうとすることからはじめればいい。
世界では確かに色々な問題が起きている。でも、そうした矛盾も不条理も抱えながら、世界は在って、僕らを生かしてくれている。問題ばかりに目を向けるんじゃなくて、そうした部分も含めて、まず世界をまるごと認めればいい。そしてその中で思い切り楽しめばいい。そういうことだったのだろう。
今久しぶりにベトナムで撮ったたくさんの写真を眺めてみたりして、ほんとにいい表情で笑えているなあと、自分でも驚く。心から楽しんでいた時間だったんだなあと思う。事前の勉強会からスタツア中までずっと、夢中になって過ごしてきた。そんな時間を、このメンバーと一緒に過ごせてよかった。
スタツアを通して、世界のこと、人間の暮らしのことについて以前よりずっと目を向けられるようになった。自分のものの見方や考え方も日々成長していって、柔軟になっていくのが分かった。何より、一緒に旅したメンバーの一人一人に対して、「この人はどんな風に考えているだろう」「この人はいま何を思っているのだろう」と考えたり、時に語り合ったりして、たくさんの部分で影響を受けた。自分は昔よりもずっと、人のことを知りたい、解りたいという志向を強く持った人間になってきたように思う。』(20歳,男性)
『生まれて初めての経験が山ほどあった。こんなに印象深く、刺激的な日々は20年間のうちでも数えるほどしか思い出せない。
2週間足らずで、本当に多くの出会いがあった。JICA 職員・関係者の方々、協力隊員の方々、3R プロジェクトの青年たち、小学校や幼稚園の子供たち、マーケットの売り子、屋台のおばちゃん、タクシーの運転手、ダナンの橋で夜遊びする若者、レストランまで連れて行ってくれた子供たち、パゴダの女の子たち、そしてスタツアのメンバー。
短期間でこんなにたくさんの人間と接したのはおそらく初めてだ。ベトナム語がもっと話せれば、英語がもっと話せれば、と思うことは何度もあった。でも、言葉が通じないからこそ楽しかった。言葉の前に気持ちありきの人間関係。とても心地よかった。仲良くなるのに言葉はいらない。仲を深めるための道具として、言葉は非常に優秀かもしれないけど、気持ちが通じれば言葉なんてなくていい。
自分の持つ、選択肢の多さに気づいた。
君は自分の進路を選べるんだね、というようなことを言われた。
日本に生まれ、こうやって海外に旅行するくらいの生活の余裕を持ち、考える時間を与えられている。ベトナムの小学生には農家に生まれ、農家を継ぐことしか選択肢のない子どもいる。好きなものを食べ、好きな物を買い、好きな所へ行くという贅沢。ああ、やはり自分は豊かなのだとしみじみ思う。ベトナムの子供が豊かでないというわけではないけれど。以前は、そんな恵まれた環境で生きていることに後ろめたさを持っていた。後ろめたさよりも強い罪悪感を。でも、何がきっかけで変わったかはわからないが、自分は自分、他人は他人で割り切れる気持ちが出てきた。恵まれているという立場から、恵まれていないと思われるような生活の人々を憐れむような、そして申し訳なく思うような気持ちはもうない。かと言って無関心になったわけでもない。頭で理解しようとしていた偽善が、感覚的にわかったとでも言おうか。
自分が日本人であること。当り前のことを意識した。そうしたら、自分は自分であること。それも当り前。日本で生活することの安心感は絶大。さみしくなって誰かと連絡を取ろうと思えばケータイを開けばいい、学校に行けばいい。病気になっても病院に行けば安心。薬を飲んで栄養のあるものを食べれば治るだろう。そんな風に、日常生活を送るのに不安を抱かなくて済むのも、豊かな証拠なんだろう。
また、ベトナムに行きたい。ベトナムで過ごした時間は、とても、とても満ち足りていた。』(20歳,女性)